作庭 齋藤忠一氏
作庭家であり庭園研究家。63年に重森三玲氏に師事して75年に独立。日本庭園を主に修理、復元を行なっている。
枯山水
枯山水の多くは,その平面を白砂敷とする砂敷ともいって,海に見立てたり,陸に見立てたりします。白砂敷は、堂々たる石に対して静寂なたたずまいを演出するものですが,ここに洗練された砂紋を独特な熊手「砂かき」という箒(ほうき)をもって紋様(箒目)をつくります。
砂利や砂面に描かれた紋様を砂紋(さもん)と言います。砂かきで凹凸のある歯で筋を引く。凸になった部分が砂を掻き分けて、凹になった部分に寄せることによって、歯と逆の凹凸ができることになる。
砂紋を描くことによって、庭に重厚感を与えるとともに、石組の表情をダイナミックに見せることができる。静寂と気勢が一層助長されるのである。これは忍びの者(忍者)や法敵に対する意味もあり,もちろん清浄な法域を表すためでもありました。
枯山水庭園によく使われる白砂は、一般的に水を象徴します。その形状により,さざなみ,山波,立波,うねり,やり水,流水,菊水,網代,市松,片男波,観光水,青海波,渦,喰違い,獅子紋など23種類に分類されます。
当寺枯山水は、吉野川を借景にした鶴亀である。
中国道教思想に基づき,不老長寿を願い,慶祝を表すもので,鶴,亀に見立てた島をつくり,また山をつくったりしました。また鶴亀両島をもって蓬莱島ともいいます。
鶯之瀧
高台の見晴らしのいい寺であるところから明治四十年『阿波名勝案内記』には国造の詠として『阿波国に名所があるよ 見よ 聞けよ 鶯の瀧、桜間の池』の一首を傳う。
また三宅舞村(天保五年~明治四十一年、医師、儒家。美馬郡舞中島村の人)本楽寺避暑として
『寺門咫尺枕芳川 川帯青松翠竹鮮 水面淳風次不断 櫓聲帆影去来船』
と詠んでいる。
昔は観音信仰とともに、裏にある瀧の浄水が眼病に霊験あらたかというところから、近郷近在から人が集まって来て眼を洗ったという。














































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