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まず『精進』という言葉は、六波羅蜜(6つの悟り)の中に“布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧”とある言葉の中の“精進”である。精進とは“努力すること”を意味します。精進という言葉は経典の中にも見られ、例えば『遺教経』に
―― もし勤めて精進すれば、則ち事として難きものなし。是故に汝等まさに勤めて精進すべし、たとえば少水の常に流れて則ち能く石を穿つが如し。もし行者の心しばし懈癈すれば、たとえば鑚るに未だ熱からずして息めば、火を得んと欲するといえども、火を得ることが難きが如し。これを精進と名づく ――とある。
仏道において精進とは、悟りを見極める大きな過程の1つである。

この『精進』の実践方法の1つに、美食を戒め、粗食であれということがある。つまりは、魚介肉類を食べずして、野菜、海草、根菜の類にしなさいという事
わが国においては6世紀初頭から、中国から仏教が伝来後、仏道修行する僧はこの精進の思想と習慣が定着し始めたらしい。もっとも一般の方は僧侶と違い平常魚介肉類は食べたが、一族の死や忌日のみは精進物を食べた。この普及は親鸞聖人による『精進日』が始まりであるとされている。
真言宗も、この時代まではまだ料理に対して修行(精進)の一環として行っていたに違いないであろう。次第に衰退し、精進料理は禅宗のものとされるようになる。

また精進料理は料理の種類、調理方法にも大きな変化をもたらした。例えば『煮る』という料理方法である。それまでの料理方法は、「生ま」「干す」「焼く」ぐらいでした。それが精進料理の普及と共に料理のレパートリーが増えた。『煮る』ことで大きな影響を与えた料理の1つに『羹』(カン)つまりは温かい汁物である。この他に『点心』。点心とは、 “少食を心胸の間に点ず” おやつの事である。羊羹とか饅頭である。

精進料理は、日本料理の進歩でもあったと言えよう。そして禅宗の渡来によりさらに確立したもとなる。

北大路魯山人

明治時代、それまで味覚のみで語られていた食を、視覚などもあわせて味わういわば総合芸術の領域にまで引き上げた北大路魯山人(1883-1959)。幼くして自分の味覚の鋭さを自覚した魯山人は、食道楽として全国を行脚していた時、旅先の北陸で差し出された九谷焼に盛られた料理を前に愕然とした。器と料理の取り合わせが、おいしさを一層際だたせたのだ。「器は料理の着物である。」美食に目覚めた魯山人は、その粋を客人にふるまいたいとの思いから、大正13(1924)年、赤坂に料亭を開く。
おいしさを追求するために魯山人がこだわったのは、「産地直送」。丹波の天然鮎を生きたまま、夜通しトラックと汽車で取り寄せた。そして料理人や仲居も厳しく教育した。ところが魯山人が最後まで納得できなかったのは、大勢の客をもてなすために集めた5000点の器だった。料理に合う本物の器とは…。魯山人は、自らその器を作ろうと決断。鎌倉の窯場で陶器作りに一心不乱に打ち込んだ。
そして20年後、最高の「料理の着物」となる焼き物に辿り着く。それは、自然の素朴な風合いを持ち味とした備前焼だった。

『良い料理には盛り方の美しさ、色彩の清鮮、包丁の冴え、すぐれた容器との調和、それらに対する審美眼がなくてはならない。また、佳味を賞している席、即ち建築物に就いての審美眼がなくてはならない。さらに林泉の幽趣、あるいはその境の山水に対する審美眼もなくてはならない』

日々の食材に感謝

どんな料理でもそうだが、特に精進料理は常に生きているということが最大の条件である。“生きている”つまりその季節に出回る、旬のものを使うという事。そしてその素材を最大限にいかす。

ある素材を目的のためにその一部分だけを使うのではなく無駄にしない、その素材のもつ生命を最大限有効に生かし切る、またそれを残さず食する。無駄にしないということは、いうまでもなく自然が与えてくれる恩恵に対する謝意を示す。その為、僧侶は食べる前に“食事作法”があり、経や真言などを唱えてから食す。

『真心でつくり、真心で頂く』である。

頂くとは

どのような料理をいただく時でもそうだが、食事は他の命を食べている。その為食事を残すことは無礼であるし、また感謝の意から外れている。よく外食でいろんな食を注文したのはいいけれども、食べられなくて残す方がおられますが、自分の食べられる量は分かっているにも関わらず、注文するのは“欲”である。また残された食は、料理人に対しても失礼である。
これ以上にマナーが悪いのは、あちこち手を加えて食する方である。満腹で食べられないから手を加えずそのままにしておくことが礼儀である。それを味見か何かは分からないが、どれもこれも中途半端に残す方は、マナーが良いとは言えない。
最近こういった方々が非常に多い。それは居酒屋などのチェーン店が多いためであろう。値段が安いと多く注文してしまう。そしてそれが当たり前と思ってしまう。インドのお坊さんは食事の托鉢をするが、今日生きていく上で最低限の食事さえ頂いたら、後は頂かない。それは前に述べたように、必要以上の食事を摂らないことによる。
日本人も最近道徳心のない方が多々いるが、親はそういったことを学ばさせる必要があるし、親自体そういったことに気をつけるべきであろう。
よくお金持ちの方がいろんな注文して、食べ物を残す姿を良く見るが、私から見ればお金はあるが、品がないである。本当のお金持ちとは、質素であり、飾り気なく、礼儀を重んじるものである。しかし報道の在り方が悪いのかどうかは分からないが、お金持ちとは豪華に遊ぶことと思っているのが悲しい。
また本物の料理人は、テレビ出演などあまりしない。そんなことをしなくてもおいしい物を作る料理人には必ず人が集まる。どんな仕事でもそうだが本物である方は、あまり表にでないし質素な生活をしているが、本物の味・技を知っているものである。

食事作法

織らずして着、耕さずして食するものは、せめてそれ等を造って呉れた人々に対して感謝することだけでも忘れないようにしなくてはならぬ。特に仏は、知恩報恩之れ聖道と説かれて居るのであるから、仏教徒としては恩を知り恩に報ぜなくてはならぬ。
衣に対しても、住に対しても必要であるが、食に対しては特にその心持を表す方法を忘れないようにしなくてはならぬ。一切衆生は食に依って住すると仏は説いて居て食は1日もなくてはならぬものの1つである。それであるからして、仏寺として必ずなくてはならぬ。7つの御堂の1つに食堂を入れて居る。又食料に対しても便所に落ちていた1粒の米でも、必ず拾って7度洗って食せよと誡めて居られる。さりとて多食過食を誡めて、仏弟子は日中1食を本義とし、子供と老人にのみ朝の粥を許されて居ることも記憶しておくべきであろう。
食事作法
―― 1粒ノ米ニモ萬人の労苦ヲ思イ 1滴ノ水ニモ天地ノ恵ミヲ感謝シ奉ル 
箸ヲ執ル度ニ思エヨ 御仏ノ大恵ト涙シ流ル  頂キマス ――
食後
―― 我レ今既ニ此ノ麗シキ食ヲ終ル 願クハ身ヲ養イ心ヲ修メテ報恩ノ道ニイソシマン 箸ヲ置ク度ニ思エヨ報恩ノ道ニ怠リ有リヤ無キヤオ  御馳走サマ ――
                                         「四威儀の心得」より

味、香、色

料理に一番大切なことは清掃である。真言宗の僧侶は昔から『真言料理、禅清掃』といい慣わしてきたものだが、何時の間にか、精進料理も、清掃も共に禅宗の独占するところとなってしまった。
道元禅師が『典座教訓』によって、調理し供養する者と頂く者との心を尽くした修行のかたちとみた精進料理の食礼作法は、あらゆる日本料理の典型となり、お茶の懐石料理もここから生まれ、また、いつの時代にも家庭のお惣菜料理のお手本は、その源をさぐれば精進料理に合ったのです。
京都では「お番菜」と言う。「番」とは“日常”の意味がある。例えば「番傘」「番茶」など。
精進料理は、その時季に潤沢に出回る旬の物を大切にし、五味・五法・五色の組み合わせによって味付けをする。

 五味とは、『辛、酸、甘、苦、鹹』の調味料
 五法とは、『生ま、煮る、焼く、揚げる、蒸す』の調理法
 五色とは、『赤、青、黄色、黒、白』の色彩

色は舌で味わうとともに、目で味わうことも重視されているからである。
これこそ日本人が継承する『食文化』である。

当寺では、五味、五法、五色を基本とし、更に器、盛り付け、庭園を含めた鑑賞をしながら食べる料理となっております。眼で舌で心で春夏秋冬を味わっていただきます。

味付け

料理の修業で大事なことは、料理を始める前に心を落ち着けて、無駄のないよう用意と手順とを計っておくことである。出来上がりの結果だけに囚われて、ただイライラとして切ったり、煮たり、焼いたり、蒸したりするだけでは、よい料理はうまれない。人の気持ちは、刃物や鍋にも、また味覚にも影響を及ぼすからだ。
料亭では、煮方、焼き方、洗い方など上下階級があるが、これも無駄のない手順を覚えるための1つの修行であろうと思われる。それを覚えることにより、店の板前となって今までの修行が身に染み本当の無駄のない動きとなるのであろう。それはどの職業でも同じ事が言えよう。
「心身一如 物我不ニ」と落ち着いて、そのものに成り切って無駄のない手順を工夫することだ。

味付けのコツ

料理の根本は何と言っても味付けである。味だからとて舌だけの味だけではなく、眼と鼻との味を出す工夫もしなければならない。汁にしろ、吸い物、煮物、焼き物、揚げ物、蒸し物、和え物、浸し物、生ものにしろ如何なる御馳走でも、要はただそれぞれの持ち味を活かして、それに適合するような味付けをすると共に、青、黄、赤、白、黒の色彩を上手に組み合わせ盛り合せて、眼に映る味と鼻で味わう香辛料の工夫をする事が大切である。

私の地元徳島県の上勝町では「ツマモノ」出荷で全国でも有名である。この「ツマモノ」が眼に味(季節感)をもたらす。「ツマモノ」とは紅葉や柿の葉などの葉っぱのことである。
料理の味の世界は複雑微妙な種々の要素が絡み合い、しかも材料の1つ1つに異なった味を持っており、味わう人においても地方的に、個人的に好みが違う。また世界の国々によっても違ってくる。それぞれ好きな味は違っているもので老人向き、青少年向き、茶人向き、男・女向き、田舎向き、都会向き、病人向きと様々な味がある。また1年のうちでも春夏秋冬その時々の気分と健康の状態とで、我々の味覚も左右される。そうしたいわば気儘な味の世界であるといえよう。万人に好かれるような料理を作る事は容易ならぬことである。
料理の味を生かすも殺すも、調味料の使い方1つであると言ってもよい。随って調味料は必ず上等の品を使い、平素から味に成り切る力と創造する力とを以って材料と調味料を使い分けて、頭ではなく、舌で味付けのコツを会得しておくことだ。

たくさんの地方色豊かな器があり、それは料理によって様々な盛り付け方がある。
基本は中央を高く盛り付けるのが基本であり、なるべく器全体を使うのではなく、器の6割程度のくらいで盛り付けをするのが一番美しく見える。フランス料理などの器は白色が多いので、器の3割程度を使い料理を際立たせる。だから料理が直ぐに視覚に飛び込んでくるのである。それは白の器が光を反射し、料理をより一層大きく見させるのであろう。
日本料理はそうではなく、器も料理の季節を感じさせるものの1つの要素である。だから食べる前に器を見ると、より味を濃厚にさせたり涼しさを感じさせてくれる。それは日本料理の視覚で味わう、そして日本特有の四季を表現できる料理文化であろう。
皆さん、割烹や季節料理屋、旅館など行かれたら、ぜひそういった点も見ながらお食事するといいと思います。

無駄のない手順

料理の修業で大事なことは、料理を始める前に心を落ち着けて、無駄のないよう用意と手順とを計っておくことである。出来上がりの結果だけに囚われて、ただイライラとして切ったり、煮たり、焼いたり、蒸したりするだけでは、よい料理はうまれない。人の気持ちは、刃物や鍋にも、また味覚にも影響を及ぼすからだ。
料亭では、煮方、焼き方、洗い方など上下階級があるが、これも無駄のない手順を覚えるための1つの修行であろうと思われる。それを覚えることにより、店の板前となって今までの修行が身に染み本当の無駄のない動きとなるのであろう。それはどの職業でも同じ事が言えよう。
「心身一如 物我不ニ」と落ち着いて、そのものに成り切って無駄のない手順を工夫することだ。

後片付け

料理で一番大切なのは後始末である。道具の使った後の手入れがどんなに大切なことであるかは想像できると思う。料理に取りかかってから慌てて、鍋や、金網、茶碗、皿などを洗うような心掛けでは本当の料理は出来ない。道具を使ったあとの手入れ次第で味が左右される。鍋や包丁の洗い方一つで料理の味に影響するものだ。鍋に醤油のコゲや味噌などがついていたり包丁の置く場所がいつもバラバラでは言語道断。
余談ではあるが、宮大工の西岡常市氏は奈良の法隆寺の五重之塔の修復や??寺の金堂の再建で有名であるが、西岡氏が大工を選ぶ時の面接は、面接に来た大工の道具を見て判別していた。道具を見ただけその大工の器量がわかると言うのだ。
私が外食で店を決める時は、常に清潔である店であることだ。特にトイレをみれば一目瞭然である。トイレの綺麗な店は、料理もうまい。清潔であると言うことは料理に対しても繊細である。そしてお客様のことを常に考えている。皆さんも汚いより綺麗なほうがいいでしょう。
店の清掃ができる料理人は心身清潔であろし、他者への気配りもできるであろう。

伝統と特色

仏教が、6世紀末に中国より渡来して以来、修行僧の食べ物に厳しい戒律を加えて、各宗派独特の精進料理が生れ、長い年月と幾多の変化を経て現在に至っている。中でも『永平寺』 『大徳寺』 『萬福寺』が、それぞれの基調と伝統と特色を受け継いでおり、高野山の料理も、空海が806年に真言宗を開いてから数多い寺院と僧侶によって、引き継がれている事だろう。
精進料理は、魚や肉などの料理のように簡単な料理法で出来るような単純なものはない。全部の人の手にかかり、味をつけ、加工を施さねばならぬ料理である。従って精進料理の全盛期だった昔は、どこの仕出屋にも、先祖伝来の極秘の口伝があり、代々親から子に伝え、秘伝は家伝料理と称して他には洩らさなかった。必ずどの店にも1,2点は家伝料理があって、その店の名物とされており、精進料理の盛んであった頃には、莫大な伝授料を払って伝授を受けようとしても容易に許されなかったので、ひそかに秘伝を盗み取って我が物にしたというような熱心な料理人の弟子もいたと聞いている。
精進料理の華やかなりし時代の夢物語である。

茶の普及

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先ほどの説明で、禅宗の渡来により精進料理は大きく開花する訳であるが、それにつれて忘れてはならないの『茶』である。
『茶』を日本に持ち帰ったのは、空海(弘法大師)と言われてます。
当寺の茶は薬用として飲まれていたらしく、その為一般には普及しなかったらしい。そして次第に僧侶の間でも飲まなくなりましたが、再び興したのが栄西禅師とされています。これにより貴族、僧侶、武家で薬用として用いられていたのが一般にも普及し、足利時代になってさらに遊楽の飲物として転化し、それが現在でいうところの茶道にまで発展していく。
『懐石料理』は茶道で使われている名称であるが、本来は『会席』である。この懐石というのは禅僧が修行中に空腹を耐えるために温石を懐中に抱いて一時をしのいだという意である。いわば先ほど述べた『点心』である。

普茶料理

江戸時代に入ると、明の衰亡に伴い中国から禅宗の一つである黄檗宗が伝来する。彼らが持ち込んだ当時の中国式の精進料理(いわゆる素菜)は「普茶料理」と呼ばれる。一つのテーブル(長方形の座卓)を囲み、複数人がめいめいに料理を分け合って食べるというスタイルが非常に珍しがられた。料理においても中国風のものが多く、「雲片」と呼ばれる野菜の炒め煮やごま豆腐、「もどき」料理(山芋の蒲焼など)などがある。炒めや揚げといった中国風の調理技術には胡麻油が用いられ、日本では未発達であった油脂利用を広めた。「普茶」とは「茶を普く」という意味であり、煎茶普及の一役を担った。
こうした普茶料理は、精進料理というよりは異国情緒を味わうものとして黄檗宗の寺院ばかりでなく、料理屋や文化人など民間でも広く嗜まれた。特に民間で行われた普茶料理は、長崎の卓袱料理とも影響し合い、テーブルクロスや貴重なガラス製のワイングラスや水差し、洋食器が用いられる事もしばしばあった。江戸時代には『普茶料理抄』といった専門の料理書も著された。料理そのものは次第に日本化していったが、既存の精進料理には無い鮮やかさや賑わいがあり、現在も作られている普茶料理は見た目が鮮やかな独特のものに進化している。

高野豆腐

高野山には昔から数多い寺院に僧侶が居て、食べ物もおのずと『僧房料理』が基礎となっているものの、山深く交通の便のない所で材料の入手に相当な困難と苦労があり、粗野な食生活が長く続いたことがうかがわれる。このため穀物、乾物、保存食等が貴重なものであった。
弘法大師が、唐より豆腐の製法を持ち帰り、後世になって、厳しい冬の気候を利用して天然の高野豆腐を作り出したことなども、この地に住む人の智恵として出来たものであろう。その為高野山の料理には必ずと言っていいほど高野豆腐がでてくる。精進料理は季節感も大事だが、その地ならではの食材も大切にする。

もどき

もどき料理とは、肉や魚に似たてたもののことである。歯ごたえや見た目が魚や肉に似ているものなどがある。江戸期に始まったものではなく、古く鎌倉時代にもはや魚の形をし、味も似せたものが考案されていたということです。しかし江戸の料理法の発達とともに遊びの食物として作られるようになったわけです。その好例が、我々が現在も日常の膳に載せる『飛龍頭・雁もどき』であろう。