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曲水・遣水

日本庭園は、水、石、植栽、景物の4大要素から成り立っている。

水の景観のなかで、大陸から庭園文化が伝わると同時に日本にもたらされたのが、『曲水』である。『曲水の宴』として語られることが多い。
曲水は、流水に盃を浮かべ、歌を詠む目的で造られた曲がりくねった水路です。
曲水の宴は、中国から伝来したもので、上流から盃を流し、自分の面前を通り過ぎるまでに歌を詠むという、優雅な遊びで、平安時代の貴族の間で流行しました。
庭園の中に細い流れを導き入れ、水元の配石、石積、沢渡石など添景によりその水流を楽しんだ。上記で説明した『曲水』が寝殿造りの庭では『遣水』へと発展する。遣水は曲線状に流すことにより風情を出し、また建物の床下を通すことにより、夏の涼しさを呼び、同時にせせらぎの音を楽しんだ。

t10.jpg滝は、池泉庭はいうまでもなく、枯山水庭園においても庭園の中心をなす重要な要素である。わが国の美しい自然風土は,多雨な気候とも関係し,大小の河川や渓谷美をつくり,そこに滝や沢をつくりました。
平安時代に書かれた作庭秘伝書『作庭記』では、布落ち、糸落ち、向かい落ちなどと滝の形状が分類されている。庭の滝は大きな鏡石と呼ばれる据石を中心に組まれ,滝は不動明王の居処として,不動石が組まれたり,天端(テンパ)には庭全体の主人としての観音石を据えました。古くから滝石組は,音羽の滝,那智の滝,日光華厳滝,奥州厳美渓などが手本となっていましたが,鎌倉末期から室町期にかけて竜門瀑(リュウモンバク)が現れます。この滝は中国黄河の上流,山西省竜門にあって,いかなる魚も登ることのできぬ三段落ちの大瀑布で,ここに鯉があるとき登り,竜に化身する説話があります。武士たちは,この竜門の話は武門としての絶好の作庭寓意であり,禅の教理の悟りに通じることもあって,次第に庭園の滝組に用いられました。

池泉

庭園の中の池を「池泉」と呼ぶ。平安時代には都を中心に、寝殿造りの館に大きな池泉の庭が造られた。池泉の形は、一定の規則があるわけではなく、庭の立地条件などによって、様々な形が作られた。池泉には、半島のように突き出した出島や中島が作られている。出島は、池泉の景観に遠近感や奥行きを与える働きをする。中島は、仙人が棲むとされる思想や長寿などを意味していることが多い。
池泉に舟を浮かべて楽しむ大池泉庭園。平安時代の池泉庭の多くが舟遊び式であり、大名庭園にもその様式が受け継がれた。この手法を強く意図したのが、衆楽園である。
平安時代の貴族たちは、池泉に龍頭鷁首の舟を浮かべて楽しみました。
舟遊びは、普段とは違う非日常性や、低い目線で移り変わる景色を楽しむことができ、また楽団も乗せて、なかなかの贅沢だったようです。
そのため、つくられた庭園は、池泉の形があまり複雑ではなく、スケールに重点を置いたものとなっています。
『龍頭鷁首(りょうとうげきしゅ、りょうとうげきす)の舟』
2隻1対で、1隻は舳先に龍の頭、他の1隻には鷁の首の形を彫刻したもの。
※龍はよく水を渡り、鷁(げき・想像上の水鳥)はよく飛んで風に堪えるというので、水難を防ぐ意に基づくようです。

曲線の庭

日本庭園の大きな特徴は、曲水や遣水に代表されるように、曲線の造園が多い。池の形は、ほとんどが曲線といってもいい。それは日本庭園が、自然の風景を手本にしているからである。一方、イスラム文化圏の庭園は直線が主体で、その影響を強く受けて、フランスの整形式庭園が誕生した。砂漠の多いイスラム文化圏では、水は宝物である。その水を彼らは、水源からオアシスまで地下水路で運んだ。そのほとんどが直線である。その少ない貴重な水を、一滴も無駄にすることなく目的地に送るには、直線の、そして蒸発を防ぐ地下水路が最適であった。こうして直線の造景が、イスラム文化圏において生まれ、それが庭園デザインの基本となった。 この両者の違いは、風土や庭に対する考え方による。

不老不死

仏教伝来に伴うわが国の思想形成に大きく影響を及ぼしたのは,中国大陸の神仙思想です。神仙三島とは,中国の三神山すなわち蓬莱(ホウライ)・瀛州(エイシュウ)・方丈(ホウジョウ)の三山をいい,また大海に浮かぶ神仙すなわち仙人が住む三島を意味します。庭園では九山八海と共に池泉の中島や,枯山水庭の石組,平庭の築山などの寓意となりました。神正五島とは三島に,「岱与タイヨ」「員きょうインキョウ」二島を加えたものです。

思想
仏教伝来からまもなくして,その教理が定着しますと密教化する傾向が強くなります。一方,京では平安朝の貴族文化を謳歌し,庭園は「阿弥陀信仰」による浄土の世界を写すことが,流行します。いわゆる浄土庭園がこれです。浄土とは仏・菩薩の居所であり,西方浄土 =極楽浄土= のいう極楽往生のことです。庭としては浄土曼荼羅を具現したもので,平安期に入ると智光清界曼荼羅のごときものも現れて,作庭への指針を与えました。理想境としての池泉を大きく穿ち,蓮を植え,八功徳の水を湛える清浄香潔な景を中心に構成します。
仏教伝来はわが国に極楽浄土の思想と共に,現世(この世)の構成概念が入りました。「須弥山」という想像上の山も、日本庭園に取り入れました。須弥山は、古代インド人が想像した、世界の中心にある山である。それはヒマラヤ山脈の後方に位置し、標高はエベレストの200万倍以上と想像を絶する。須弥山の周りには九山八海がある。九山八海とは,須弥山を軸として,外周(この世のはずれ)である鉄囲山に接する南瞻部州の大海までの間に七つの山(持双山,持軸山,檐木山,善見山,馬耳山,象耳山,尼民達羅山)をあわせて九つの山と,その間に形成される八つの海をいうものです。庭に島々を浮かべ,また平庭に立石や築山をあげて九山八海を具現して,観賞者へ仏理を教えこんだのです。

石組み

普通一般的に日本庭園を見るとき、必ずと言っていいほどその樹木の四季の移ろいに目を奪われてしまい、日本庭園にとって最大の構成美の一つである石組を見ることがおろそかになっているのが現状である。

日本庭園は石を組み合わせることにより造られている。したがって「石を組む」ことにより景観に変化をもたらした。一方中国では「石を積む」ことを基本としている。
「石を積む」中国は、天への志向が大きい。キリスト教のサグラダ・ファミリア(スペイン・現在も建設中)に似ています。
「石を組む」日本は、水平の広がり志向が大きい。これによって他国との思想の違い、心の持ち方、道徳の違いがわかると思います。

豪快でいながらにして、ある時にはとても繊細な石組が,世界にも類を見ない庭園であるだけではなく、その巧みな構成に引きつけられている為に、いろんな樹木が大きく見え、庭全体が広がり、大きな空間になってしまうのであろう。

仏教的石組
三尊石組,須弥山式石組,礼拝石,座禅石,など
・祝儀思想的石組
蓬莱石組,鶴島,亀島,陰陽石,七五三石組み,など
・風景的石組
滝石組,など
・実用的石組
飛石,敷石,蹲踞,鉢前,など

大名庭園

枯山水は日本庭園を特色づける様式として、現代にまで引き継がれている。桃山時代から江戸時代にかけては、池泉庭と枯山水が共存する大名庭園がいくつも造られている。
旧徳島城表御殿庭園はもと阿波淡路両国大守蜂須賀公の居間や表書院の庭先に当たったもので上田宗箇(千利休,古田織部正から侘の茶を伝えられた茶人として高名)の作庭による桃山時代白眉の名園で、枯山水庭と築山泉水庭の二庭よりなり、池泉回遊式と鑑賞式を兼ね備えた庭園である。1941年名勝として指定された。
上田宗箇は関ヶ原の戦いで西軍についたが、「所領召し上げのうえはお咎めなし」で、侘び茶を通じて親しかった阿波藩主、蜂須賀家政に招かれて造った。

徳島城10.jpg名石「阿波青石」の産地だけに、色、形のよい石がふんだんに使われています。枯山水部の巨大な石組みで、とくに橋の石は、藩主蜂須賀至鎮(よしかげ)が毒を盛られて地だんだを踏み割ったという、伝説の巨大な踏み割り石である。枯山水庭の自然石の石橋は、10mもある。しかも7:3のところで意図的に折られ、豪華さの中に繊細さを示している。
また池泉庭の護岸石組はこの庭の見所で上下に二重三重に組まれおり池泉の水位が下がっても景観をそこなわないようにしている。また「心」の字形に造られた泉池でもある。
豪放にして豪快。各部に繊細な表情も多くみつけられる庭園である。

枯山水

枯山水の多くは,その平面を白砂敷とする砂敷ともいって,海に見立てたり,陸に見立てたりします。白砂敷は、堂々たる石に対して静寂なたたずまいを演出するものですが,ここに洗練された砂紋を独特な熊手「砂かき」という箒(ほうき)をもって紋様(箒目)をつくります.

砂利や砂面に描かれた紋様を砂紋(さもん)と言います。砂かきで凹凸のある歯で筋を引く。凸になった部分が砂を掻き分けて、凹になった部分に寄せることによって、歯と逆の凹凸ができることになる。

砂紋を描くことによって、庭に重厚感を与えるとともに、石組の表情をダイナミックに見せることができる。静寂と気勢が一層助長されるのである。これは忍びの者(忍者)や法敵に対する意味もあり,もちろん清浄な法域を表すためでもありました。

枯山水庭園によく使われる白砂は、一般的に水を象徴します。その形状により,さざなみ,山波,立波,うねり,やり水,流水,菊水,網代,市松,片男波,観光水,青海波,渦,喰違い,獅子紋など23種類に分類されます。